Bible Study 02 / Joshua & Time
太陽が止まった日、
ヨシュアは何を
求めていたのか。
ヨシュア記に記された「日よ、とどまれ」という祈り。奇跡の不思議さだけで終わらせず、時代背景、信仰、科学との関係、そして時間を治める知恵として読み解いていきます。
日が沈めば、
戦いの流れは
変わってしまう。
太陽が止まった?
不思議な祈りの場面
聖書には、思わず「本当にそんなことが起きたのだろうか」と考えさせられる場面があります。
その一つが、ヨシュア記10章に出てくる「日よ、とどまれ」という祈りです。
「日よ、ギブオンの上にとどまれ。月よ、アヤロンの谷にとどまれ。」
ヨシュア記10章12節
すると聖書には、民が敵を打ち破るまで、日がとどまり、月が動かなかったと記されています。
ここで疑問が生まれます。本当に太陽が止まったのでしょうか。それとも、この御言葉には別の読み方があるのでしょうか。
背景にある、
荒野の40年
この出来事を理解するためには、まず時代背景を見る必要があります。
イスラエルの民は、長い間エジプトで奴隷として苦しんでいました。神様はモーセを通して民を導き出されましたが、約束の地カナンへ向かう途中には荒野がありました。
荒野の生活は楽ではありませんでした。民は不平不満を言い、「エジプトの方が良かった」とまで言いました。その結果、イスラエルの民は40年間、荒野をさまようことになりました。
ヨシュアは、
善評する人だった
ヨシュアは、ただの軍事指導者ではありませんでした。
かつてカナンの地を偵察した時、多くの人は恐れました。「そこには強い民族がいる。私たちは勝てない」と考えました。
しかし、ヨシュアとカレブは違いました。彼らは神様の約束を信じ、良い面を見て、前向きに判断しました。
何かを成し遂げようとする時、必ず大変な瞬間があります。その時に「昔の方が良かった」と戻ろうとする心が出てきます。
けれども、行くべき場所にたどり着くためには善評が必要です。神様が共にしてくださると信じ、良い面を見て進む人が、約束の地へ入っていくのです。
ヨシュアが
本当に求めたもの
カナンに入ったヨシュアたちは、次々と戦いに向き合うようになりました。
ある時、アモリ人の五人の王が結託し、イスラエルに総力戦を仕掛けてきました。戦いは激しく、しかし神様はイスラエルと共におられました。
ヨシュアたちは勝利へ向かっていました。けれども、ふと見ると日が沈みかけていました。
もし日が沈めば、戦いの流れが変わってしまうかもしれません。だからヨシュアは、大胆に祈りました。
「日よ、とどまれ。」
ヨシュアが本当に求めていたものは、空にある太陽そのものというより、勝利するために必要な時間でした。
聖書は、
時代性を考えて読む
ここで大切なのは、聖書をその時代の認識や文化背景の中で読むことです。
ヨシュアの時代は、今から約3500年前の世界です。現代のように天文学が整理されていた時代ではありません。人々は、目に見える通りに「太陽が昇り、太陽が沈む」と認識していました。
だからヨシュアは、自分の目に見える世界の言葉で祈りました。
聖書を読む時には、現代の感覚だけで裁くのではなく、その時代の人々がどのように世界を見ていたのかを考える必要があります。
科学と信仰は、
本来ぶつからない
聖書には「太陽が止まった」と書かれている。科学では「地球が動いている」と説明する。そう考えると、科学と信仰がぶつかるように感じるかもしれません。
しかし、神様は真理の神様です。目に見える世界の法則も、目に見えない霊的な世界も、神様の中にあります。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
ヨハネによる福音書1章1節
聖書を正しく読むなら、科学と信仰は敵同士ではありません。両方をバランスよく見る時、神様が造られた世界をもっと深く理解できるようになります。
この講義で
覚えておきたいこと
時間の勝利が、
人生の勝利になる
ヨシュアが求めたものは、勝利のための時間でした。
私たちの人生も同じです。やるべきことが成し遂げられるかどうかは、多くの場合、時間をどう使うかに左右されます。
時間を治める人は、人生を治めることができます。そのためには、神様に祈ることが必要です。そして同時に、無駄なことを切り捨て、優先順位を正しく立てることが必要です。
ヨシュアは、必要な時間を神様に大胆に求めました。そしてその時間をもって勝利しました。私たちも、時間を治め、人生の戦いに勝利する人になっていきたいのです。